妹に会いに行った話
数日前、家族と一緒に妹に会いに行きました。
その日は雨が降っていて、周りに人はいませんでした。
妹の名前の字は母から教わった通りの字で、それは妹の人生そのものを表しているように感じました。
母は私の後ろで、長いこと手を組んでいました。きっと積る思いがあったんだと思います。
私には何も話す言葉が見つかりませんでした。何せ、私は妹の顔と名前しか知らないのです。妹が何が好きで、何が嫌いで、どんな風に物事を見るのか、どんな声で話すのか、それらを知るまえに妹は空の上に行きました。
私はそのとき、まだ自我が芽生えていませんでした。
母が顔を上げたときも、雨は降り続いていました。
私は母が顔を上げるまで、頭の中に言葉を探しましたが、見つけられませんでした。
ただ、空の上に妹が幸せでありますようにと、願いました。
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ある日、母から この日に妹に会いに行こうと提案がありました。
その日は私も休みの日だったので、行くことにしました。
次の日の夜、私の中に気味の悪い感情が渦巻いていました。
妹の名前の字は、私には夜空に輝く星のように思えました。その輝きはあまりにも奇麗すぎて、照らされた自分の影が異様に思えるほどでした。
私の頭の中にいくつもの妄想が流れていきました。そのいずれにも過剰に奇麗で、幻想的な妹ばかりが出てきました。
私はひどく気分が悪くなりました。会いに行くことが嫌になりました。
そんな自分自身に不快感を感じました。
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次の日の夜、昨日まで渦巻いていた気持ちは消えて、少し楽しみな気持ちになりました。
妹のことを考えると、優しい気持ちになれました。
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会いに行く当日の朝、行先までの行き方を調べて、母と一緒に向かいました。
途中で花を買いに花屋へ寄りました。そのとき一瞬、ユリの花が3輪あれば願いを込められると思ったのですが、あいにくユリの花を見つけられなかったので、他の花を数種類選びました。
その日は雨で、道はどこも濡れていました。
私は雨の日になると転びやすくなってしまうので、始終足元にびくびくしながら歩いていました。
小学5、6年生のころから、びくびくするとき、必ず耳元で「大丈夫だよ」とささやく声がしました。
私はその声を信じてびくびくする気持ちを抑えていました。
声がするときは、自分の周りに透明な膜が張られたようで、少し守られているように感じました。
花を買うときも、店内の道が狭くて、歩くのが怖いとき、響くその声を信じて歩きました。
母はその様子を「自分の妹なのになぜか積極的でない」と感じたかもしれません。
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花を買って、その場所へタクシーで向かう途中、自分の心が悪い意味で透明になるような気がしました。
それでも、花を見ると気持ちが柔らかくなるのを感じました。まだ、妹に対して穏やかな気持ちを抱けました。
その場所に着いて、墓を見た時、自分の心が悲しいくらい透明になるのを感じました。
自分を覆っていた透明な膜は消え、鼓膜に雨粒の音がうるさく貼りついていました。
墓石に刻まれた文字はただの記号に思えました。
妹のことを考えても、何もこちらには情報がないから全く分からず、何も感じませんでした。
言いたいことも伝えたいこともありませんでした。
雨がうるさく降っていました。
周りには私と母しかいませんでした。
雨の音だけが響いていました。
母は私の後ろでずっと手を組んでいました。
おわり
ここまで読んでくださり、ありがとうございました。
吐き出して、少しすっきりしました。